大丈夫よ。

大切な友達の身に少しばかり悲しいことがあってそれは人生においてはそれほどでもないことかもしれないけれどその友達はとても傷ついていてそれでも一生懸命に笑っていて私はどうすればいいかわからずとりあえず一緒になってたくさん笑ってみました。一度しっかりついてしまった傷はすっかり跡になるし今の私にできることといえばその子の楽しいを増やすことしかないのだと思いました。年が明けたら本人はケロッとしている可能性すらありますがそれはそれでいいわけで早くよくなるといいねの想いを500パーセント詰め込んだ笑顔で別れたからむしろちょっとくらい元気になってくれよという気持ちでもいます。笑生きていると悲しいことがたくさんあるしでも楽しいこともたくさんあるし大切なのは幸せでいることを諦めないことだと思うからだから元気出せよという完璧に個人的なメッセージを直接言うのは恥ずかしいからここに書きました。読んでなかったら笑います。今年もあと数日。気を抜かずに元気でいよう。また明日。

人もまばらな電車のなかで

どうしようもなく悔しくて地団駄を踏みそうになるときが年に2回くらいあってもしかしたら今日がその日かもしれないなあとぼんやり考えながら 電車に揺られています。前回は忘れもしない劇団藤村聖子第2回公演のお稽古のとき。自分のお芝居に納得がいかなくて居酒屋でみんなで話をしながら悔しい…と涙を流しました。後にも先にも自分のお芝居に関して悔しくて涙を流したのはあのときだけです。今はただただあのときは変な空気にしてごめん、とみんなに言いたいです。笑悔しい気持ちってなんだか少し恥ずかしかったりもしてとんでもなく負けず嫌いなのに今まであまり表に出せないでいました。でも最近はなんていうか漏れ出ることも多くなりました。1つ1つのことにかける思いがだんだんと大きくなってきているのを感じます。もっと早くそうなればよかったのにとまた悔しがりそうになります。最近はもう毎日小さな悔しさを抱えて過ごしていてたまにこうして大きくなってはそれを飼い慣らしてなんだか''悔しい''とは友達になれそうです。でも、毎日悔しいから、だから、私はお芝居をしているのだなあとなんとなくの結論が出たところで目的地に着きました。明日もがんばろう。また明日。

「ヒロイン」であるということ

これまでの女優人生において私は''真ん中に立つ''ということをあまりしてきたタイプではありません。これまでの役といえば主人公の友達とか主人公のクラスメイトとか主人公の恋敵とか主人公の友達とか主人公の友達とか主人公の同僚とか概ねそんなようなところです。でも好きでした。そういう役もすごく好きでした。もちろん女優としてはいつか真ん中に立ってみたいという気持ちがなかったわけではありません。でも''そういうタイプではない''とわかっていたしそんな機会がいつかあればいいなあとどこか他人事のように考えているところがあったのかもしれません。そんな私にいつも家族草子でお世話になっている森さんは言いました。「お前は真ん中に立って責任を背負うべきだ」いつもはパンを買ってきてくれるおじさんですがたまにすごく先人ぽいことを言うのが森さんです(怒られる)。初めて真ん中に立ったとき今までに感じたことのないタイプのプレッシャー?みたいなものを感じたような気もしましたが…気のせいかもしれません。考えてみればそもそもあまりプレッシャーを感じるタイプでもないので「お前はヒロインだ」と言われてもてへぺろ!といった感じでした。だから森さんの言う「責任」をしっかり背負えているのかはわかりません。でも今まで以上に''私は絶対にブレませんので安心して下さい''という強い気持ちを持つことができています。これが責任なのかもしれません...

初めて嘘に気がついた日

小学5年生のある日お友達に''仲間はずれ''にされてしまったことがありました。あ、今この子は嘘をついているなとはっきり認識しました。認識してしまいました。子どもたちの間ではよくあることだと今なら思えます。でも当時の私にとっては天地がひっくり返るくらいの大きな出来事でたくさんたくさん泣いたのを今でも覚えています。それが私にとって初めて「人が嘘をついた瞬間」に気がついた日でした。それ以来なのかなんなのかはわかりませんが人の嘘によく気がつく人になってしまいました。人をたくさん観察するようになって嘘に限らずその人が言わんとしていることや次に取る行動を敏感に感じ取る人になってしまいました。 自分ではそれがちょっと嫌で誰かがそのことに気がついたら気持ち悪いと思われてしまうのではないかと怯えています。私にとっても気がつかなくてもいいことに気がついてしまう毎日はとても窮屈で簡単に言うと、すごく疲れます。でもたまに褒められることもあります。「全然気がつかなかったすごいね」みたいに言われるとちょっとだけ誇らしげな顔をします。自分では嫌だと思っている部分でも褒められるとそれはそれで嬉しいものなのだと思います。複雑です。まあでもそういうこともひっくるめてお芝居をする人になれてよかったなと思います。なんだかわからないけれど''こういう人がいてもいい''のだと思えるからです。そんなこんなで明日もお稽...

夏の方が好きだったあの頃には戻れないけれど

もう少し寒くなったらあのセーターを着ようもう少し寒くなったらお湯の温度を1度上げようもう少し寒くなったら毛布を出してもう少し寒くなったら水筒に入れたあたたかいお茶を持ち歩こう昔から夏が好きで夏ってだけでワクワクして海に行ったりプールに行ったりみんなで花火をしたりあれ、好き?って思っても夏が終わったらなんだったのあれってなったり存分に楽しんでいた夏が今や疎ましくて頭の中は「もう少し寒くなったら」でいっぱいです。最近気がついたことは私にはなんでも順番をつける癖があってこっちの方が好きこっちの方が大切こっちをまず最初にやらなくてはいけないこっちは別にどうでもいいの中を生きているということです。だから夏の方が絶対に好きだったあの頃からの自分の心の変化にもあっという間に気がついてしまってなんだか少し寂しいきもちです。でももう戻れなくてもいいんだ。私もこれから歳を重ねて好きだったものがだんだん好きじゃなくなって好きじゃなかったものがだんだん好きになってそれでいいんだ。それでいいんだなあって思いました。また明日。

眠りが浅いことによる弊害

「お互いに心から愛し合える関係よりもお互いのことを誰よりも理解し合える関係の方が素敵だと私は思う。それぞれの世界が別々に存在するのではなく2人でいかに同じ世界にいられるかが鍵だよ」みたいに友達にアドバイスしている夢をみました。よくよく考えたら全然意味がわからないしうるさいわ、って話です。「理解し合ってんだったらあとは存分に愛し合えばいいし愛し合ってんだったら誰よりも理解し合うように努力するんだ。がんばれ。ていうか結局なに、好きなんでしょ?はいはいおっけーおっけー大丈夫」現実の私はそうアドバイスすると思います。適当です。さあ寝よう。これ以上夢の中の私がドヤりませんように。また明日。

つまりそれは風船より大切なのかというお話

人との間に何かが起こってたくさん傷ついてたくさん傷つけてこれはもう無理かもしれないと思ったときに一度全部なかったことにしてみるということを平気ではないけれどやってみるを実践することに決めています。私は決して優しくないしいい人ではないと思うし気が強いし頑固だしでもいつまでもいつまでもひとつのことにこだわってひとつのところに留まってしまうのが嫌でその先にあるかもしれないその人との素敵な経験を自分から排除するのはすごく勿体無いなあと思っています。この気持ちを抱くようになってから思うのはごめんねううん、私もごめんねというやり取りはそんなに難しいことではないということです。私たちは本当にたくさん間違えるし人とすれ違ってしまうこともたくさんあって自分が正しいのだから絶対に許せないと思ってしまうこともきっとあります。でもその気持ちは向こうも同じだと思うから私が正しくて相手が間違っているという気持ちを変えないでいることからは何も生まれないと本当に思います。「私とあなたの考え方が違うのは仕方のないことだけれどわかり合おうとしなくてごめんね」世界がすごく平和になりました。そういう意味ではだいたいの人はわかり合えると心から信じています。そう、ピースフルピーポー。と言いつつまだまだ感情的になってしまうこともあるのでこういう考えをここで整理することで自分に暗示をかけているといったところでしょうか。 ...

ダンスのお話

改めましてダンス公演○△□無事に終演致しました。お越し下さった皆様本当にありがとうございました。  春先にお声がけいただいたときには昔ダンスをやっていたとはいえとてもブランクがあったし女優の私が今更舞台で踊るなんてという不安から始まった今回の公演。主宰の美佳ちゃんとの間に色んな想いもありどうして私なのだろうと悩んだ時期もありました。でもどうしても聖子さんに出て欲しいと言ってもらえてそれが素直に嬉しくて信じてついていってみようと腹をくくりました。ついてきてよかったそう思います。たくさんの素敵な人たちと出会わせてもらえてキラキラした夢のような経験をさせてもらえてただただ幸せでした。本当に楽しかった。一緒にこの時間を作らせてもらったみんなには感謝しかありません。そして何よりこんな私に声をかけてくれた美佳ちゃんにありがとうの気持ちでいっぱいです。私はまたここから女優として頑張っていきます。ありがとうございました。また明日。

なにかを信じられなくなるとき

なんの保証もないものや目に見えないなにかを信じるというのはとてもとても怖くていいのかなこれで合っているのかなと毎回毎回不安になります。でも信じなくてはなにも始まらなくていつまで経ってもひとりで空虚な心がどんどん膨れ上がって息苦しくなります。たとえば自分の信じた結果じゃなかったとして何度もそれを繰り返してしまったとしてああまただもうなにも信じられないとその瞬間は思っていても気がついたらまた自分や誰かやなにかを一生懸命に信じようとする自分に気がつきます。もうちょっと疑り深くなった方がいいとかそのうち痛い目を見てしまうよとか言われたってやっぱり一旦はそのなにかを信じてしまうしそれで悲惨な結果になったとしても信じた自分を褒めてあげようとそういう風に思うようにしています。私の人生の話をすると正直なところ信じて失敗をするということの方がこれまでは多かったかもしれません。けれど信じなければ生まれなかったものもやっぱり沢山あってそれらは今の私にとってほんとうにほんとうにかけがえのないもので自信にもつながっています。だから自分自身や大切な誰かや今起ころうとしている沢山のことを信じることができるというのはとても誇らしいことなのだと私は思います。なにかを信じられなくなるそんなときもあるけれどこれだけは信じられるというものに目をやってそれを自信にしてまた前を向けばいいのだと思います。少々傷ついたって大抵の...

人生楽しそうでいいね

皆さんはこの恐怖の言葉をご存知ですか。笑私は昔から人生楽しそうとか悩み事なさそうとか何も考えていなさそうとかひどい時は、お勉強できなさそうとかよく思われたものでした。私からしてみれば人生楽しくなさそうとか悩み事めっちゃありそうとかお勉強できそうに生きるのってどうやるの?って感じでした。まあでも昔はそれでも良かったんです。ただこれって大人になった今はすごく不便でどんなに想っていることも真剣そうに話せなかったりひどく悩んでいることほどニコニコしながら話してしまうクセがやめられなかったりするのでああ何も伝わらない!となることが多いのです。そんな私のクセまでも知ってくれている人には何度か叱られています。それよくないよ、もう大人なんだから。 そうですよね、そう思います私も。だから最近はちゃんと自分の思っていることは少しアツめに伝えようと心がけています。「アツいのとかだせえ〜」と思春期の私は思っていたけれどただでさえ冷めて見える大人のアツさってかなり必要だし重要だしあれ、意外とかっこいいんじゃない?そう思うようになりました。むしろ今が思春期みたいです。だからみんなもアツく生きてこうぜ。なんだこの話。笑また明日。

病めるときも健やかなるときも

私の大切な大切な親友が結婚しました。今日の彼女はいつにも増して美しく今までに見たどの彼女よりも幸せそうな顔をしていました。高校時代からいつも3人で笑い合ってこれまで病めるときも健やかなるときもどんなときも彼女と一緒にいたのはきっと私たちです。笑「絶対に幸せにしてあげてください」とても優しく彼女のことを見つめる旦那さまにそんなことを言うのは野暮かもしれないと思いましたが必ず言おうと思っていたので伝えました。「はい」と笑顔で答えてくれた旦那さまを見てやっぱり野暮だったなと確信しました。たぶん大丈夫だと思うけれどどうかどうか末長くお幸せに。本当におめでとう。また明日

なつやすみ

最近ずっとにこにこしています。笑い皺増えました完全に。今日もなんだか楽しくてにこにこしながら外を歩いていたら子連れのお母さんが不安げにこちらを見ていました。そ、そんなつもりはないですごめんなさいとなりました。私は先日27歳になりまして(皆様お祝いのお言葉ありがとうございました)社会的にはもうそれはそれはすっかりしっかりどっしり大人なわけですが子どもの頃に想像していた大人とは何もかもが違うしあれ、もっと聡明で凛とした27歳のはずじゃ?小学生の頃からほぼ中身変わってないけど?焦りすら覚える毎日です。それでもこうやってたくさんの愛する人たちと目一杯笑ってとことん幸せに浸って過ごせる日々はどう考えても「大成功」です。まだまだここからこの日々を積み重ねていきたいものです。さっ今日もたくさんたくさん笑ったし明日も頑張ってみるかな。また明日。