好きな音楽を聴いて好きな映画を観て好きな文章を読んで好きな服を着て好きなものを食べて好きな言葉を話して好きな人に会いたいよと伝えてそうやって過ごす今がとても楽しいのは間に挟まる嫌いなもののおかげで、たまに自分のことを嫌いになっちゃったりするもんだから大体は自分のことを好きでいられて、あなたのことももちろんそうで、嫌いに支えられて好きがあるのだなと思った、そんな今日でした。毎日毎日楽しいことばかりじゃないしはあしんどいなと思う日ももちろんあるし、明日から1ヶ月ぐらいお休みだったらなとか世界中を旅したいなとか大きなお家に住みたいなとかすぐには叶わないことを想ってため息をついて、だけどどこにでもある幸せやああちょっとラッキーだったなってポイントを大切に大切にためて小さく小さく生きるのもなかなかいいものだと最近は思えます。((なんて愛おしい日々なんだ))ちなみに今朝は広瀬すずちゃんが雪山で楽しそうにキャハハと笑っているのを眺めるというとてもいい夢をみました。今日はどんな夢がみられるかな〜おやすみなさい。
藤村聖子
お芝居やってます。
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心についた傷がたとえ癒えても傷がつく前の自分にはもう二度と戻れないとわかる私になれてよかった。大人になってよかったと思えることの一つがこれかもしれない。ただ歳を重ねたからといって大人になれるわけじゃないしじゃあ大人とは一体どういう定義なのかと聞かれたらそれは私には全然わからないけれど大なり小なりこんな気持ちは一生のうちで知らない方が幸せだったということを経験しながらそれでもなんとか生きていくうちにいろんなことを許せるようになって自分のことを大人としてやっと認識できるようになるのだと私は思っている。でも迂闊にいろんなことを許せるようになると「許す」だったはずが「赦す」になってここぞとばかりに赦さなきゃいけないことが増えて次第に苦しくなってしまうのも知っている。赦していないのに赦して傷だけが増えていって傷が治ったと見せかけて日に日に別人になっていく。本当はこれこそ「一生のうちで知らない方が幸せだった」ことなのかもしれない。でもこれを知っていると「誰かの心を簡単に傷つけてはいけない」とわかるようになる。これがわかる私になれて私はよかったと思う。当たり前のことだけど一生のうちで知らない方が幸せだったことを知らないままでいたときには気が付かなかった。誰かの心を傷つけるというハードルは今より遥かに低かった。傷付いた分だけ人に優しくできるというのはそういうことなのだと思う。だから私は明日からもな...
全然上手くいかない、そんな日ばかりだった。去年からずっと、そうだった。年が明けたら何かいいことが起こるかもしれない、そんなふうに思ったけれど、世の中はそんなに甘くなかった。誰かに優しくしても誰かを信じても誰かを愛しても相変わらずその誰かには裏切られる。表現したいことがあっても今やらなければならないと思うことがあっても誰かに届けたい想いがあっても相変わらず叶わない毎日。会いたい人には会えないし傷ついた心を誰かと分かち合って酒を酌み交わすこともできない。気軽に約束すらできない。去年からずっと、そうだった。緊急事態宣言だと、ふざけんな。私たちの今は今しかないのに。もういくつもの夢を諦めた。たった1年で、数え切れないほど諦めた。夢を諦めなくてもいい日がちゃんと叶えられる日がいつ来るかもわからない。今となっては、簡単に抱きしめ合えたあの日々がもう夢みたいなものだ。それでも、また、夢を見られる日が来ると信じることしか今の私たちにはできない。夢がなくなったら、それはもう私たちではない。きっと来る。いつになるかはわからないけれど、私たちのところに、その日はきっと来る。だから、今は元気に春を待つ。みんなで。精一杯あたたかくして、風邪を引かないように、また愛する人を全力で愛せる日が来るまで。
13歳でお芝居を始めた私は、いつも何かをするには歳を重ねすぎていた。高校生になったときには、ああ高校生になってしまった、もう中学生の役はできない、そう思った。大学生になったときには、ああ大学生になってしまった、もう高校生の役はできない、そう思った。20歳を超えたときには、すっかり大人になってしまった、と絶望のような気持ちが襲ってきた。大学を卒業したときには、もう学生の役はできない、制服なんてとてもじゃないけど着られない、そう思った。私はもうダメかもしれない、そんなことまで思った。次から次に新しい、若い女優たちがどんどん出てくる。気がつけば共演するのは年下ばかり。現場で自分が何番目に若いかを10代の頃からずっと考えて過ごしてきた。ほんとうはいつのときにも私にはたくさんの可能性があって、年齢に関わらず なんだってできたはずなのに、できないことにばかり目を向けて「もう若くないんだから」という呪いを信じて、いつもいつもいつも私は自分の年齢を恨んでいた。それが当たり前だった頃は、おかしなことだなんて全く思わなかった。自分の年齢を若い誰かと比べてたまに絶望を味わってしまうことに疑問を抱いたことなどなかった。でも、私はあるときぼんやりと気がついた。「なんだこれは」20代半ばに差し掛かってからだった。若さを求めることに疲れてしまった。「もしかして私、まだ今から何にだってなれる?」そう考えた方が人生...
生きてるだけでえらかった。そんな2020年だったね。何もできなかったのに、何もできなかったから、とても苦しい一年を過ごしました。個人的には、全然お芝居ができなくて寂しかったな。最後に舞台に立ったのは2月の末、忘れもしないアクシデントにまみれた劇しょこ番外公演でした。(その節は各方面の皆様本当にありがとうね)やっぱり舞台は楽しい、大好き、観に来てくれるお客様を裏切りたくない、仲間は何より大切にしよう、あと健康もかなり大事、結局のところそれが一番大事、そんなことに気がついた大切な公演でした。あれからかれこれ10ヶ月。状況に適応するのは割と得意なタイプなのでこのような状況になっても悲観することなく自分にできることを精一杯やってきたつもりです。まあだけどもやっぱりそろそろお芝居したいなあと毎日思うようにはなってきました。「芸術なんて必要ない」そんな言葉にたくさん傷ついた2020年はまたしても私を最強に向けてバージョンアップしてくれたことと思います。私にとって、芸術は間違いなく必要。他の誰かにとってもそうであると私は信じています。だから、待ってろよ2021年。来年はなんてったってしょこたん30歳になるからね!!30歳なにそれ食べれんの?そんな感じですが私は紛れもなく世界一可愛い30代を迎えるのです!はー楽しみだなーみんなも楽しみでしょ?というわけで、今年もありがとうございました。つらいことも...
普段ならこんなことはできるだけ胸の内に留めるようにしているし、ましてや公の場で、皆様の目に留まる形で訴えることなどしないのですが、あまりにも、あまりにも納得がいかないので、その気持ちを忘れないためにも想いだけをそっとしたためます。私が初めて作品の作り手となったのは、まだ去年のことです。それから数本の脚本を書き、上演できたものもあれば、未だできていないものもあります。「演出家」や「作家」と呼ぶにはまだまだ未熟で、どちらかと言うと胸を張ってそれらを名乗るために、今を懸命に過ごしている、といった認識でいます。それでも私には、わざわざ足を運び、お金を払って観て下さるお客様への「責任」があると自覚しています。作品自体は未熟かもしれない。でも、だからこそ、今の私にできることは、作品作りに全力を注ぎ、諦めずに、全身全霊で作品と向き合うことだと考えています。これは、お客様と私の一種の「約束」だと思っているからです。その約束は、他の誰にも破る権利はないし、そういった想いを持って生み出す作品や、その過程を馬鹿にすることなど、他の誰にも、私にすらも許されないことだと考えています。作品を批判されたり、厳しい意見をいただくことは当たり前のことで、もちろん、それに関しては真摯に受け止めます。けれど、そういったところではないところで、想いを持って作る作品を軽く扱われることは受け入れがたいことです。だから、私は今...
わかりあえないことがある、そんなことを知った20代後半です。私は昔から性善説を信じているタチで、みんな本当はいい人なのだから話せばわかりあえるよと本気で思ってきました。けれど経験に経験が重なっていくうちに、あれもしかして、善意のみでお話しをしてもわかりあえないことってある、、、?と気がついてしまいました。と同時に、それも仕方のないことだとも思えるようになりました。私は昔から自分の話す言葉に少しばかりのこだわりがあって、言うなれば、私は私の言葉を信じているのです。慎重に慎重に、一番ぴったりな言葉を探して(例えば:ぴったりという言葉がここでは一番ぴったりなのです)、それを相手に渡します。そういうことをずっとずっとやってきたつもりです。だから、感情が昂ぶると言葉が出なくなったりもします。冷静じゃなくなると言葉選びが下手くそになるし、伝えたいことの優先順位をうまく整理できないからです。普段はもうそれはそれはひどく流暢に話せるはずの言葉が、驚くほど詰まるときがあるのです。けれど、そんなこだわりを持っていようがなんだろうが、相手に伝わらないときはあります。むしろこだわりを持たない方が伝わる説すらあります。そんなときは、それなりに絶望します。自分の言葉に自信が持てなくなる。ああ、私が信じていたものは間違っていたのか、恐ろしくてたまらなくなります。でも、それは仕方のないこと。育ってきた環境が違うか...
新年あけましておめでとうございます。ほんとうに来るなんて思ってもみませんでしたが、2020年ですね。驚き。1991年に生まれた私は今年29歳になります。そんな2020年のお正月は、人生で初めてひとり、大都会Tokyoで過ごしています。ひたすらにお芝居に明け暮れるお正月です。ここ一年で自分のお芝居への向き合い方が少しずつ変わってきているのを感じていて、それは意識的にも、無意識的にもなのですが…そんな折に出会った今回のお話。ざっくりとあらすじを説明すると、急逝した母の葬儀のために久しぶりに集まった三姉妹のお話です。超ざっくり。笑私は元々お芝居をしているときの心の状態と、普段のそれをきっぱりと分けられるタイプだったはずなのですが、今回はそれが少しばかりうまくいきません。毎日毎日当たり前にいると思っていた大切な人を失う、という心の状態を疑似体験しているため、''疑似''であるはずの心の穴が少しずつ、あれ?ほんとうにあいてない?となってきているのを感じています。役者というのは心を扱う仕事だ、と昔誰かが言っていたのを今になって実感している形です。役者人生16年目にして今。えらく時間がかかったものです。笑普段から、大切な人こそ大切にしようという心構えを持っているつもりではいるのですが、それでも今の私はまだまだそれが足りていないのではないか、とまだこれからでも遅くはないことに対して、''後悔''し...
先月私は28歳になりました。まさか自分が28歳になる日が来るなど10代の頃は思いもしませんでした。でもなりました、びっくりです。年々思うのは、誰かのことを沢山許せるようになったということ。まあこういう考えの人もいるわな、が自分の中で多発するようになりました。ただそれと同じぐらい許せなくなったことも増えました。昔なら、適当でいいんじゃね?と思っていたことがいやこれは適当じゃだめ、ちゃんとやらなきゃ、と思うようになりました。大事な話のときにめんどくさいことに巻き込まれたくないから周りに話を合わせる、みたいなことも自分の考えと違う場合は、喧嘩ではなく、ちゃんと話をしようと思えるようになりました。特に仕事のことに関してはそうで、そもそももう本当に本気でやっている人しか残っていない年齢になってきたから当たり前かもしれませんが、私の中である種の「こだわり」みたいなものが存在しているのを感じています。大体は気持ちの話です。お芝居の技術に関してはまだまだ勉強中で、正直本当に何もわからないし、この先わかりきることはないと思います。だからこの仕事を続けているのだとも思います。そんなこんなで最近になって私は今よりももっと若かった頃に''口うるさいなあ''と思っていた大人の人たちの気持ちがわかるようになってきました。わかるようになってしまった、と言うべきかもしれません。笑大人って意外と大変です。許したり許...
普段はあまりこういうことは言わないようにしているですが…20代の女性であるというだけ仕事がしづらかったり生きづらかったりすることはやっぱりあってだけど私はなんか、なんていうか、全然諦めたくないんです。毎日自分に''がんばれ、大丈夫"と魔法をかけて踏ん張ることに意味はあると思うから。だからたとえ性別や年齢により悲しい目に遭っても誰かを恨むことはしないで私は私に生まれてよかったと思えることをひたすらに探そうと思って生きている毎日です。そんな風に感じている女性は世の中にたくさんいるはずでなにかと必死に戦いながらそれでもやっぱり疲れてしまっている女性も多いはずなんです。もちろん必死に戦っていることに性差はないと思うし世の中にはある程度の性別による''役割''みたいなものが存在していることも理解はしています。それで助けてもらっている部分もたくさんたくさんあるので男性批判をするつもりは全然ありません。だから何が言いたいかというと、みんなが純粋に優しい気持ちでがんばれる世界に、社会に、いつかなればいいなということです。私の人生はおそらく何かを大きく変えられるだけのそれではないと思うので若干他力本願ぽく聞こえてしまうかもしれませんが、私は私でそういう願いを持ちながら今の世界で幸せに生きられる方法を、少なくとも私と関わって下さる方をほんの少しでも笑顔にできる方法を考えていきたいと思っています。なんか...
いつでも気を失えるほどの睡魔。しばらく気がつかないふりをしていた喉の痛み。苦し紛れに流すペトロールズ。醒めない頭。治らない喉。無心になってなぜか「ヤマネコ」とネット検索をかける。でてきたヤマネコを見て「ほう〜」と言う。ご一緒にいかがですか?と「テイオウムカシヤンマ」が出てくる。画像を見て、私が好きなのは虫じゃないんだよなあとなる。せかせかした1日をぼーっとした頭で過ごしてみて思ったことは私はもうずっと昔からおとぎの国に住んでいるような毎日を送っているということ。でも普段はちゃんとおとぎの国から外に出て過ごせているのだということ。 ほいじゃあ今日もお疲れ様でした。ウォーキングデッドを見て平和を喜びながら寝よう。混沌を知らないと今の平和に気がつけない というわけではないんです。そういうんじゃなくて。ただ、ただ、ゾンビが好き。笑また明日。 (2日続けてブログを書くなんてどうしたものか。(毎日書け
私はこれまでなぜか「女だと思われたくない」という謎の気概を無駄に背負って生きてきたので恋愛に関する発信をほとんどしてこなかったのですが、女友達と会えば恋バナをするしいうてもアラサーだしいつまでもアイドルを気取っている場合ではない、ってことで恋愛について書いたりしちゃったりしてみようかなと思いこのページを開きました。(前置き長い)私は基本的に男性に恋をします。でもそこは割とどうでもよくて私は女で、あなたはたまたま男だけれど、そんなことは全く関係なく生き物としてあなたのことが好きなの!だって私たちって同じ動物でしょ!みたいな感じです。この話を突き詰めていくと私個人の「性の捉え方」を 語らずにはいられなくなるのでこの話はまた今度にしますね。とにかく、生き物ごと丸っと人を愛することのできる私はそこだけ見たらなんか「いい感じ」です。でも実際には全然いい感じじゃないです。いい感じに生きられたことなんて そもそも一度だってありません。そのくせ人には一丁前にアドバイスをします。「その彼はまだ若いから、ほら、あなたを受け止めるだけの懐が備わってないだけよ。だから決してあなたが悪いんじゃないわ。自分を責めないで」海外ドラマか、しかも吹き替えの。要するに私は恋愛下手なんです。そういえばこの前も街に掲げてあるイケメンの巨大広告の前でその広告のイケメンと一緒に写真を撮って欲しいとせがむ彼...