3月14日 晴れ



人が感じるきもちが
みんな同じだったらどんなに楽だろう
とよく思います。

「好き」とか「嫌い」とか
「悲しい」「寂しい」「めんどくさい」とか
たとえ同じ言葉で表されるきもちでも
それぞれに全然違うから
私の「好き」と
誰かの「好き」が同じじゃないことに
心細くなったりするんです。

もしみんなが同じ
「好き」とか「嫌い」を持つようになれば
相手のきもちがわからなくて
フワフワすることもないし
私のきもちがわからなくなったときは
これってどういうきもちだったっけ?
と誰かに聞けばすぐに教えてくれるし
とてもスムーズに毎日を過ごせる気がします。

でもそれだと
たとえば同じ映画を観て
「切ない」と言った人のきもちは
全部同じになるし
みんな同じくらい共感できるから
「特別」がいなくなるし
気の合う人との穏やかな時間が
毎日訪れて
いつかその大切さを忘れてしまうだろうし
うまく言えないけれど
それじゃあなんだかダメなことは
私にもわかっています。

人のきもちは
わからないから面白い。
そしてだからこそ
わかったときにすごくすごく嬉しくなる。
きっとそうなんですけど
そんな風に
穏やかでいられないときだって
たまにはあります。

そんなときは
誰かのきもちを
自分の中から探そうとするんじゃなくて
ぼんやりと
「私あの人好きだなあ」
って思いきり片想いしてみることにしました。

そしたらなんだか
全部どうでもよくなりますよ。
わかんないけど。

ホワイトデーのひとり言でした。

また明日。

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藤村聖子

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